さかろぐ

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リネンの交換のタイミングは? それから「学び」について。

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昨日、ベッドのシーツと布団カバーを取り替えた。リネン交換をするのは、今年に入ってたぶんまだ2回目。

 

大物を干すのはめんどくさい。花粉の季節だとなおさらだ。

 

ひとり暮らし用の洗濯機はちいさくて、シーツとカバー、枕の代わりにしているバスタオル2枚をいっぺんに洗えない。それでも無理やり、洗いの途中で止めて、ゴム手袋で浮かんできた布団カバーを押しこんでやったりする。

 

乾燥はコインランドリーをつかってやればいい。30分で300円。これから、2週に1度はリネン交換しよう。変えたばかりの寝床は気持ちいい。

 

矢野祥『読む・書く・考える IQ200の「学び」の方法』を読んだ時のメモを見なおしている。

 

本をきちんと読みたい、勉強したい、そんな気持ちはしょっちゅうある。

 

斜め読みして終りにしてる、と自分で思っているからだろうか。ネットで読む記事だって、ただ目に入れるだけで、どんどん流れてしまっている。

 

覚えていられない、でも覚えておきたいから、ブックマークとかPocketがあるんだろう。

 

だいぶ昔、はてなブックマークの整理をした。登録した記事を読み返してるうちに、余計に面倒になってブックマークはやめてしまった。

 

今は、Evernoteにクリップする。後で読み返して、興味があるものだけ別のノートブックへ移す。そうでなければ、「済」のフォルダへ。

 

整理は諦めて、検索に頼っている。大事な2割弱だけ、面倒みればいいと思ってる。

 

それで、「学び」についてのメモ。

 

生きているかぎり、自分も環境も変化する。何かを学びながら、人は生きている。

 

リネンの交換にも、学びがある。交換方法ごとのコストを比較する。丁度よい交換のタイミングを、他の人の様子を調べて、自分にとってはどうなのか考える。リネン交換したばかりのベッドの心地よさを味わう。そしてシーツに自分のにおいがまた染みこんでいく。

 

生活していくために、考えることは様々だ。人によってはリネンについてなんて考えないかもしれない。自分にとってはそれが大切なことだった、ということ。

 

生きていれば、良かれ悪かれ何かを学んでいる、というのは納得できる。ふだんの生活の中ですでに学んでいる、ということを起点にするべきかもしれない。

 

なんでもかんでも学びたいと思っていたら、手一杯になって破綻する。

 

流れてくる情報にただ身を任せていたら、余計なこと、身に余ることばかり学んでいくだろう。

 

だからなのか、矢野は最初の章で目標について語っている。

 

「法の力で困っている人を助けたい」という思いから弁護士を目指す人を例に挙げている。その思いの素晴らしさを認めつつ、目標を達成するためには他にも方法がありえることを語っていた。

 

以前手にした本や、学びたいと思った事柄。それらはその時どんなことに関心を持っていたかを示しているだろう。

 

でも、それは今もやりたいことなのか?

 

自分が感動すること、興味をひかれること、好きなことであるのか。

 

いまの自分の気持ちはどうあるのか。そして目標を見なおしてみる。

 

それはそのまま、どう生きていきたいのか、考えることだろう。

 

今日はここまで。